静かに忍び寄るリスク、無症候性心筋虚血と漢方の知恵
心臓は、私たちの生命を維持するために休むことなく働き続ける、まさにエンジンのような存在です。しかし、その心臓の筋肉への血液供給が不足する「心筋虚血」は、時に自覚症状がないまま進行することがあります。これが「無症候性心筋虚血」と呼ばれる、静かに忍び寄るリスクです。
無症候性心筋虚血は、血管が狭窄や閉塞することで心臓の筋肉が一時的に酸素不足に陥る状態です。高血圧、糖尿病、脂質異常症、喫煙などの生活習慣病が背景にあることが多く、動脈硬化が進行することで発症リスクが高まります。自覚症状がないため、健康診断や他の病気の検査で偶然発見されることも少なくありません。しかし、放置すると狭心症や心筋梗塞といった重篤な心疾患を引き起こす可能性があるため、決して軽視できません。
一方、東洋医学では、心臓は単なる血液を送り出すポンプとしてだけでなく、精神活動や感情とも深く関わる重要な臓器と考えられています。心臓の機能が低下すると、血液の流れが悪くなるだけでなく、「血(けつ)」の不足、すなわち「血虚(けっきょ)」の状態を招くことがあります。
血虚は、全身の臓器や組織に十分な栄養が行き渡らない状態を指します。心臓における血虚の症状としては、動悸、息切れ、胸部の不快感などが現れることがありますが、無症候性心筋虚血の場合には、これらの症状が表面化しないこともあります。しかし、潜在的な血虚の状態は、疲労感、めまい、顔面蒼白、爪や皮膚の色つやの悪さ、不眠、不安感といった全身症状として現れることがあります。これらの症状は、心臓の異変と直接結びつかないため、見過ごされがちです。
漢方医学では、無症候性心筋虚血そのものに対する直接的な治療というよりも、背景にある生活習慣病の改善や、血虚をはじめとする全身のバランスを整えることで、間接的に心臓への負担を軽減し、症状の悪化を防ぐことを目指します。
例えば、血行を促進し、瘀血(おけつ:血の滞り)を改善する生薬製剤2号方(冠心2号方)や田七人参(でんしちにんじん)などが用いられることがあります。これらの生薬は、血管を拡張させ、血液の流れをスムーズにすることで、心臓への負担を軽減する効果が期待されます。
また、血虚の症状が顕著な場合には、血液を補い、全身に栄養を巡らせる四物湯(しもつとう)や当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)などが検討されます。これらの漢方薬は、貧血傾向を改善し、心臓を含む全身の組織にしっかりと栄養を届けることで、動悸や息切れ、疲労感といった症状の緩和に役立つと考えられています。
さらに、精神的な不安や不眠が強い場合には、心身を安定させる加味逍遙散(かみしょうようさん)や酸棗仁湯(さんそうにんとう)などが用いられることもあります。精神的な安定は、自律神経のバランスを整え、心臓への過度な負担を避けることにも繋がります。
重要なのは、漢方薬は個々の体質や症状に合わせて処方されるオーダーメイドの医療であるということです。無症候性心筋虚血の背景にある体質や、潜在的な血虚の症状をしっかりと見極め、適切な漢方薬を選択する必要があります。
無症候性心筋虚血は、自覚症状がないからこそ、定期的な健康診断や生活習慣の改善が重要となります。もし、健康診断で異常が見つかった場合や、上記のような血虚の症状が気になる場合は、循環器内科の専門医に相談するとともに、漢方専門の医師や薬剤師に相談してみるのも良いでしょう。漢方の知恵を生活に取り入れることで、心臓の健康を静かに、そして力強くサポートできるかもしれません。




